竹中大工道具館の見学と神戸旧居留地の歴史を学ぶ(2016年3月12日)

見学会 2016.3.21

竹中大工道具館

3月12日(土)の午前、2014年神戸中央区に移転した日本で唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」で副館長の西村章氏より日本の伝統の技について熱のこもった説明を受けました。

その後、旧アメリカ合衆国領事館で2012年よりレストランとして利用されている旧居留地15番館へ向かいました。

十五番館

旧居留地十五番館

 食事の後、明治以降の市民まちづくり史・建築史・都市史を研究しておられる小代薫氏(神戸大学経済経営研究所 研究支援推進員)をお招きして、神戸旧居留地の誕生の過程と神戸の開港場の特徴について絵図を使いながら説明を受けました。

居留地地図s

小代薫氏の資料より

 神戸外国人居留地は江戸幕府がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの安政五カ国条約に基づき、兵庫や横浜他の開港に際し外国人の居住・経済活動のために貸与することを約束した一定の地域(外国人居留地)です。
外国人居留地は1868年(明治元年)1月1日開港から1899年(明治32年)7月17日迄約32年間存続しました。現在の神戸市中央区で、東は旧生田川(現フラワーロード)、西を鯉川(現鯉川筋)、南を海、北を西国街道(現花時計線)に囲まれた区域です。当時の英国は世界最大の近代国家の輸出国だったといわれますが、神戸居留地計画は英国人の設計士C.J.ブロックやJ.W.ハート等が携わりました。22の街区、全体で126区画によって構成されていました。「神戸は東洋における居留地としてもっともよく設計されている」と英国紙で評されました。

下水管

 居留地は外国人専用地として一定の行政権・財政権などの治外法権が認められていました。居留区の整備管理運営を行うことを目的に「外国人自治機関(居留地会議)制度」が設置され自治権を持ち、各国領事、兵庫県令、民間委員3名からなる代議制議会の席で平等且つ多数決で決まりました。道路は、車道と歩道が区別され、南北を走る道路にはレンガを漆喰で固めた円筒状の下水管が埋設されていました。通りには街路樹やガス灯が設置され、電線は地下配線として電柱は建てませんでした。

 商船三井ビルディング 海岸ビル

居留地に残るレトロなビル

 明治30年代に入ると東京大学工学部建築学科の辰野金吾、曽禰達蔵、河合浩蔵や、エコール・サントラル・パリへ留学し建築学を学んだ山口半六といった日本人建築家たちが、神戸において日本の官公庁および企業を建築主とする建築物の設計を多く手掛けるようになりました。

シムさんの石碑

また、居留地に住んだ外国人たちは、当時日本には無かった「公園」という場所を要求し、その考え方を理解した県令の神田孝平の折衝により現在の東遊園地ができました。神戸の街には居留地の影響が今でも色濃く残っていました。